ゲームクリエイターかく語りき4〜チュンソフト・中村光一氏

ゲームクリエーターによる「ゲームづくりのコツ」のようなものを紹介してみる企画の4回目。


テキストとして使用する本は引き続きこちら。

487233907Xゲームセンター「CX」
太田出版 2004-12

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今回は『ポートピア連続殺人事件』『ドラゴンクエスト』という、アドベンチャーとロールプレイングの先駆となるゲームを送り出したチュンソフト中村光一氏のインタビューを紹介。

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スクウェア・エニックス 2011-09-15

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有野:一番最初に作ったのは、なんですか?
中村:オリジナル作品としては『ドアドア』が一番最初になりますね。
有野:だいぶ若い時ですよね?
中村:『ドアドア』は高校3年生の時ですね。
有野:高3!これ、ヒントになったモノとかあるんですか?
中村:核になった面白さの要素としては、当時ナムコで大ヒットしていた『ディグダグ』ってソフトなんですけども。
そのエッセンスを…わからないんですけどね(笑)。
有野:わからないんですかねぇ。
中村:追いかけてくるキャラクターをどんどん固めていって、一気にやっつけるっていう爽快感は、実は『ディグダグ』をヒントにしています。

高校時代からマイコン専門誌へのプログラム投稿により「天才プログラマー」として名を馳せていた中村氏。
最初に作ったゲーム『ドアドア』は、ファミコンにも移植され大ヒットしたので、プレイした人も多いのでは。
それにしても、これを高3の時に作ったとは、まさに「栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し」だ。

有野:なんで会社を作ろうと思ったんですか?
中村:当時、ゲームセンターのゲームっていうのは、いいゲームがいっぱいあったんですけど。
パソコンのゲームソフトというのは、自分自身がつまらないゲームを掴まされて、結構頭にきてたりとかしてですね。
「こんなんだったら俺が作ったほうが全然いいじゃないか!」という(笑)。
有野:会社も「作ったほうがええやろ、その方が売上になるやろ」みたいな。
中村:そうです。そういうノリで(笑)。

80年代前半のゲーム黎明期は、ゲームメーカーが作ったゲームセンターのゲームと、ソフトハウスが作ったパソコンゲームの2種類があった。
前者は大手メーカーによる良質なゲームが多かったけど、後者は中小メーカー(というかマイコンユーザーの延長のような個人開発者)が作ったゲームのため、アレな出来が多かった模様。
それにしても、「俺が作った方がイイ!」の一念で、ゲームどころかゲーム会社まで立ち上げてしまうなんて。
技術があれば一個人でもゲームクリエイターに、否、「ゲームメーカー」にまでなれた、当時のゲーム業界を象徴している。


そしてインタビューは『ドラゴンクエスト』の誕生秘話へ…

中村:当時、堀井雄二さんもアップルというパソコンで、洋モノのPRGにハマってまして。
で、堀井さんは『ウルティマ』、私は『ウィザードリィ』にハマってて。
ポートピア連続殺人事件』の打ち合わせの時に「次、何か作るんだったらPRGがいいよね」って話は、よくしてたんですね。
有野:で、それを実現させたのはいつ頃ですか?
中村:最初の問題点としては当時、ロムがカートリッジだけでしたので、データをセーブできなくて。
堀井さんが「パスワード形式でやったらどうか」って提案されて、それだったらできるかもということで、「じゃあ『ドラクエ』を作ろう」と、いうことになったんです。

ウルティマ』も『ウィザードリィ』も、アメリカのパソコンゲームにおいて「RPGの元祖」と呼ばれる古典的名作。
それにハマっていた2人がRPGを作ろうと思ったのは極めて自然な流れ。
問題になったのは、当時のファミコンの技術ではデータをセーブできないこと。
それに替わる物として「ふっかつのじゅもん」ことパスワードによるデータ保存が使われた。
やがてデータセーブとして開発されたのが「ぼうけんのしょ」で、これがまた其処彼処で悲劇を巻き起こすんだけど、それはまた別の講釈。

有野:『1』だけで、終わるつもりだったんですか?
中村:まあ、堀井さんとかスタッフの間では『3』くらいまでのイメージはあったかな、と。
『3』でやった、キャラクターメイクとか、パーティプレイとか。そういうイメージはあったので。
ただ当時のロムの容量とか、セーブができないという問題もあって、『1』の形式になったんです。

『1』の製作段階で『3』まで、いわゆる「ロト3部作」の構想があったという。
ここで述べられていたパーティープレイは『2』で、キャラクターメイクは『3』で実現している。
これらのシステムを段階的に導入することこそ「ロト3部作」のテーマだといえる。
個人的な印象としても、『3』まではシステム重視でストーリーは二次的な感じがあり。
それはプレイヤーキャラに固定名前が無かったり設定付けが弱かったり(「サマルトリアの王子」や「戦士」「僧侶」といった肩書きや職業で呼ばれている)。
そこから方針転換したのか。『4』では各キャラごとのショートストーリーがあり、『5』ではプレイヤーキャラの人生を「親との別れ」「結婚」といったイベントを織り込んで描いたり、以降の作品ではストーリー性がより濃くなっていく。

有野:『2』で「ロンダルキアの洞窟」あるんじゃないですか。あれ、めちゃくちゃ難しいスよね。
中村:そうですよねぇ。難しいですよねぇ(笑)。
有野:あ、知ってたんですか?
中村:あれはねぇ、製品としてプログラムの完成版「マスター」っていうんですけども、そのマスターが入った段階で、誰も通してやってなかったんですよ(笑)。
有野:今でいうデバッガーみたいな人も?
中村:そのパート、パートでのデバッグは、堀井さんもやってたんですけども、通しでやると30時間ぐらいかかるでしょ。
そうすると直しては、すぐ新しいバージョンに変わっていくから。
いわゆる通しでやって、難しいとか難しくないとか、そのバランスとかが見えなくて。
有野:そんなにどんどんできるんですか。
中村:特に後半部分は…当時、私はもちろん、もう目の前を作ることで精一杯で、堀井さんもほとんど寝ずにバランスやってたんで、通してやってなかったと思うんですよね。

ドラクエ』史上、否、RPG史上で最難関と評される『2』のロンダルキア洞窟。
その原因がデバック不足という衝撃の事実。
リリースまでに「誰も通してプレイしていなかった」というのも、RPG黎明期の当時ならでは。


ファミコン(=家庭用ゲーム機)初のアドベンチャーゲームである『ポートピア』に、同じく初のRPGである『ドラクエ』。
その後もサウンドノベルで『弟切草』『かまいたちの夜』、ローグライクRPGで『トルネコの冒険』『風来のシレン』と、新たなジャンルのゲームを次々と発表している中村氏とチュンソフト
その原動力は…。

中村:高校生の頃なんですけど、その頃はアクションゲームだけじゃなく、アドベンチャーとかシュミレーションゲームとかどんどん出てきて。
「一体、今度のこのゲームはどんななんだろう?」って、システム的な枠組みさえもわからない面白さっていう、新しい刺激に、いつも作り手としても、プレイヤーとしても、こだわってきたんで、できる限りユーザーの皆さんにも、そういう新しい面白さを提供していきたいな、と。
有野:ハズレが無いじゃないですか。普通、たまにはハズれたりするんですけど…。
中村:面白くなるまで、ああだこうだとやりますからね。
有野:コツはやり込むこと、ってことなんですか?
中村:1回作り上げて、つまんなかったらまたアイデアだして面白くしていく、みたいな。
有野:そんなんもあるんスか。ボツになったりとか?
中村:いや、毎回ですよ、それは。

ゲーム業界が若かった時代は即ち、未知のジャンル未知のシステムを持つゲームが続々と飛び出した時代でもあった。
それを自らも若かった時代に体験したことが、新たなジャンルのゲームを作る原動力になったという。
「新たなシステム・新たなジャンル」を作るのは大変だけど、達成した時の喜びは格別なんだろうな。